横浜華僑通訊

最新2023年2月号より抜粋

2023年元旦
     「新年団拝」開催

 2023年元旦、晴天に恵まれたこの日、本会2階会議室には正副会長と常務理事らが参集し、「新年団拝」が行われた。
 コロナ禍であることに鑑み、「新年団拝」は広範な僑胞への参加の呼び掛けは控え、今年も規模を縮小して行われた。
 午前11時、李悦理事兼事務局主任が司会を務め「新年団拝」は始まった。
 まず謝成發会長が新年の祝辞を述べた。謝会長は、横浜華僑総会が今後取組まなければならない諸課題について触れ、今夏予定される会員代表大会に向け叡智を集め対処しようと述べた。
 続いて本会曽德深顧問が乾杯に先立ちあいさつし、華僑総会の今後について法人化も視野に入れた勉強をすすめ、老朽化した会館の在り方も真摯に向き合っていかなければならないと語った。
 そして曽顧問が乾杯の音頭を取り、参加者は祝杯を挙げた。
 続けて横浜中華学校校友会国術団による二頭の獅子が登場し、新年の祝福の舞いを披露した。
 正午ごろ、一同は記念撮影をした後、謝会長引率のもと参加者有志は、横浜媽祖廟に参詣し横浜僑界の安寧と発展を祈願した。その後、初詣客でにぎわう横浜関帝廟に参り、新年の幸運と加護を祈願した。
 一行は続いて京浜三江公所(陳鳳娣会長)を訪れ、同会幹部らに親しく新年のあいさつをした。また、正月にあたり上海餛飩(ワンタン)の温かいもてなしを受けた。

媽祖廟に参詣、三江公所を訪問
媽祖廟に参詣、三江公所を訪問
県知事・市長に新年のあいさつ

 2022年1月4日(水)午前、仕事始めにあたるこの日、本会正副会長らは神奈川県庁を訪ね、黒岩祐治知事をはじめ県の幹部に新年のあいさつをした。
 この日、謝成發会長、陳宜華、楊文惠、朱銘江、譚優矢の各副会長、張岩松常務理事(横浜山手中華学校校長)、潘永誠常務理事(横浜中華学校校友会会長)、李悦常務理事(総会事務局主任)一行8名は、神奈川県庁の玄関先で県の関係者の出迎えを受け本庁舎3階の第三応接室に案内された。
 午前10時、黒岩知事が現れ、謝会長をはじめ一行と親しく新年のあいさつを交わした。謝会長は年末年始の中華街の賑わいについて紹介したほか、長年にわたり県との協力事業である「あーすフェスタなどの取り組みについても意見を交換した。
 また、一行8名は同日夕刻横浜市役所を訪ね、山中竹春市長に新年のあいさつをした。
 新型コロナウイルスの感染拡大のため、2021年は横浜市長への新年のあいさつを見合わせたが、新庁舎へ市長を訪ねるのは昨年に続き今回が二度目となった。
 一行は市庁舎3階の受付にて関係者の出迎えを受け、ゲートを抜けエレベーターで8階へ移動し、応接室へと案内された。
 午後4時すぎ、山中市長が現れ、謝会長をはじめ一行と親しく新年のあいさつを交わした。謝会長は今年が横浜市と上海市が友好都市提携50周年にあたることに触れ、市と協力して未来を担う若者なども取り込み記念行事を展開していきたいとの意向が示され、市側からも好感触を得た。具体的な事業については新年度に詳細な事柄を決めていく予定。
 横浜市とは中区民祭り「ハローよこはま」などのイベントを通じ長年にわたり交流を重ねているほか、昨年本会が主催した新春聯歓会に際し、山中市長はビデオメッセージを寄せている。

県庁に黒岩県知事を訪問県庁に黒岩県知事を訪問
県庁に黒岩県知事を訪問県庁に黒岩県知事を訪問
市庁舎に山中市長を訪問
市庁舎に山中市長を訪問
中区賀詞交換会消防出初式

 2022年1月5日(木)午前、「中区賀詞交換会及び消防出初式」が中区馬車道の関内ホールで行われ、楊文惠副会長と李悦理事兼事務局主任が横浜華僑総会を代表し出席した。
 今まで、中区の賀詞交換会と消防出初式はそれぞれ別々に行われていたが、コロナ禍に鑑み、今年は二つの催しが初めて合同で行われた。

中区賀詞交換会消防出初式
中華街発展会
  春節賀詞交換会開催

 1月22日、卯年の春節を迎えたこの日、横浜中華街発展会協同組合(高橋伸昌理事長)は、ローズホテル横浜にて、2023年春節賀詞交換会を開催した。本会から朱銘江副会長が横浜華僑総会を代表し出席した。
 開会前、横浜中華幼保園の園児による龍舞と横浜中華学校校友会国術団による獅子舞いが会場を盛り上げた。
 冒頭、来賓を代表し横浜市の山中竹春市長が登壇して挨拶し、横浜の顔でもある中華街の益々の発展を祈った。続いて、横浜商工会議所の野並直文副会頭がお祝いの挨拶をした。
 そして、主催者を代表し登壇した中華街発展会の高橋伸昌理事長は、コロナ禍の三年を振り返ると共に、諸問題の解決に向けての取り組みを紹介すると同時に、今後を見据え未来へ向けたビジョンを熱く語った。
 また、曽徳深氏(横浜華僑総会顧問)が編纂の中心メンバーとなり、横浜中華街発展会協同組合設立50周年を記念した記念誌『横濱中華街 生業と文化』が昨年刊行されたことが紹介された。
 三年ぶりに開かれたこの日の賀詞交換会は、今までの開催方式とは異なり、参加者はステージに向けてスクール形式に配置された客席に着座するスタイルが取られた。また、感染予防の見地から、会場内ではソフトドリンクのみが振る舞われ、お持ち帰りのお弁当が配られた。

中華学校家長会新春聯歓会開催

 横浜山手中華学校家長会(譚優矢会長)は2023年1月14日にローズホテル横浜にて「教師・家長新春聯歓会」を開催しました。
 3年ぶりの開催ということもあり家長134名、教職員41名、来賓顧問11名の総数186名という多くの方に参加していただき、とても盛大な会となりました。
 家長同士や老師達とお酒を飲みながら親睦を深められる数少ない機会ということもあり、参加者は時間が経つのも忘れ大いに盛り上がっていました。
 会の後半には毎回恒例の全員での校歌斉唱です。当初は中学部三年による合唱音声を流す予定でしたが、周囲の後押しもあり中二担任の中屋伶老師が独唱し素晴らしい歌声を聞かせてくださいました。
 このように聯歓会は例年にない盛り上がりを見せ、閉会しました。
 年に一度という少ない機会ですが、この会で家長と学校がよりいっそう関係性を近くすることができればと思います。 家長会副会長 温馨

新旧総領事が来浜
 詹孔朝参事官兼総領事離任
 陳巍公使参事官兼総領事着任

 中国大使館領事部の詹孔朝参事官兼総領事は約4年半にわたる任期を終えて離任し、後任には先ごろ新たに来日した陳巍公使参事官兼総領事が着任した。
 2022年12月28日午後、詹孔朝参事官兼総領事は、後任の陳巍公使参事官兼総領事と領事僑務部趙鋼参事官と共に横浜華僑総会を訪れ、離任と着任の挨拶をした。
 当日、横浜華僑総会では謝成發会長、曽德深顧問、陳宜華・余凱・朱銘江副会長、潘民生議長、符順和・繆雪峰・潘永誠・李悦理事が一行を出迎えた。
 詹孔朝参事官兼総領事は離任するにあたり、2019年10月1日に孔鉉佑駐日特命全権大使も参加された建国70周年の慶祝パレートなどを振り返り、横浜僑界との交流の思い出などを語り、新たに着任した陳巍公使参事官兼総領事を総会役員に紹介した。
 続いて謝会長と曽顧問がそれぞれ発言し、詹参事官兼総領事の長年にわたり横浜僑胞に賜った厚誼に感謝するとともに、陳公使参事官兼総領事の赴任を熱烈に歓迎し、横浜華僑に対し引き続きの厚情を賜るように願った。
 詹参事官兼総領事は1月3日に帰国したが、在任中の後半の時期はコロナ禍との戦いの月日を過ごしてきた。
 中でも特筆すべきは2020年2月、横浜港に寄港した豪華客船ダイヤモンドプリンセス号の中国籍(主に香港市民)の乗客や船員の対応にあたったことが挙げられる。未知のウイルスが猛威を振るう中、日本の関係省庁などと掛けあい、幾度となく横浜港へも足を運び、遂には14日間の隔離を経て検査で陰性が出て、症状のない数百名の中国(香港)籍の乗客らを横浜港から羽田空港まで送り届け、香港特区政府がチャーターした特別機に乗せ帰途に就かせたことが思い出される。

華文教育の
「新たな100年」を目指して 162

 第51回教育懇親会が2022年12月2日、横浜中華街・大珍楼で開催された。今回、日本政府の教育関係者、日本の学校の代表者、スタッフなど80名以上が参加した。
 宴会場は満席となり、来賓と横浜山手中華学校の職員が集まり、中国教育と日本教育の現在と未来について語り合った。
 一方では、本校の卒業生がさらに研究を進め、教育水準を向上させるために好ましい外部環境を作り出し、他方では、これまでの懇親会が教育分野の多くの賢人を集め、また政界や華僑社会からも強い支持を受けてきたように、横浜、さらには日本の関東地方の教育分野にとっても、日本における中国教育の発展のみならず、日本の学校、地域の教育・文化、さらには華僑社会の発展に寄与している。
 本校は日本における中国語教育の発展のみならず、日本の学校や地域の教育・文化事業の発展、華僑の誠実な団結と中日友好のために、積極的かつ重要な役割を担っている。
        (山手中華学校)

「千人万餃」世界記録達成で 春節を祝う

 癸卯年の春節を翌日に控えた旧暦の大晦日にあたる1月21日(土)、横浜山手中華学校では全校生徒と教師、家長、学園理事・評議員、退職された教師などが同校体育館に集まり、「千人万餃」と題してひとつひとつの餃子を並べて、世界一大きな言葉を作るという世界記録に挑戦し、見事「ギネス世界記録を達成し公式に認定された。
 チャレンジしたのは一万個の餃子を使って「横浜山手中華学校」の校名のロゴを組み立てるというもの。「餃子で作った最大の言葉」に挑んだ。
 午前8時半、熊猫幼稚園の園児から中学三年生までの全校の生徒と教職員たちは、衛生管理の見地から、防護服に似た揃いのいでたちでクラスごとに体育館に集まり、ビニールの手袋を着け、ネットの帽子をかぶり、「餃子どうしがしっかりと触れている」こと、「人が食べられるよう衛生管理が行われている」ことなど、記録認定の条件に従って、真剣な表情で用意された生の餃子を丁寧に並べていった。
 約4時間ほどかけて、1万295個の餃子を使い、縦約7・5メートル、横約21メートルの「横浜山手中華学校」の言葉が完成した。
 山手中華学校では生徒たちに中国文化を体験してもらうため、毎年旧正月「春節」の風習である餃子を手作りしてみんなで食べる行事を24年間にわたり行ってきた。今年は「世界記録に挑戦して大きな達成感を味わいながら、中華文化を体験する」をテーマに掲げ、世界記録への挑戦が決まった。
 午後1時すぎ、審査した公式認定員から世界記録が達成され認定する旨が伝えられると、体育館にいた生徒からは大きな歓声が沸き起こった。
 世界記録を達成した餃子は、ゆで上げアツアツの水餃子にして振る舞われた。
 今回の世界記録のチャレンジには、一月末から日本市場に本格参入した中国の電気自動車のパイオニア比亜廸(BYD)がオフィシャルスポーンサーとなり、イベントをサポートしたほか、CCTV、新華網、中文導報など中国系メディアや日本のメディアも取材にかけつけた。
 また、チャレンジの模様は全世界に向けライブ配信され、およそ36万人が視聴した。

婦女会 70周年に向かって
   全10回  第5回目

 ジャンパースカートのはちきれんばかりの笑顔の若者たちは、新中国成立後、周総理の呼びかけに応えて「満腔熱情、投奔祖国」と中国に帰国していった女学生たちである。
 写真は1953年6月14日、「横浜華僑帰国歓送会」での一枚。婦女会の先輩たちが若い会員の前途を祝って開いた歓送会である。
 写真の曽慕芳(前列左から2人目)は3届生、劉鳳姫(3人目)は2届生、呉愛蓮(4人目)、陳如意(5人目)は1届生、譚梅芳(6人目)は2届生、劉月姫(7人目)は4届生。2列目の李春麗(2列目左から2人目)、曽慕蓮(4人目)、曽麗卿(6人目)は1届生。簡宝華(最後列右から4人目)、商菊宋(6人目)は3届生であった。
 一行は日本の引き揚げ船、興安丸に乗って中国へ。
 「帰国後は山あり谷ありの人生でした」と曽麗卿さんが婦女会五十年史で述懐している。
 あれから70年、帰国された校友生はすでに80代後半を迎えられ、世を去った方々も多いのではないか。長寿を迎えられた方々には心からの祝福を申し上げます。
 みなさんの祖国への献身を、私たち横浜華僑は決して忘れません。

中国語なう 120
「栓 Q」Shuān Q(シュァン キュー)

意味:英語の「Thank You」から派生した「やるせない」気持ちを表す語。
 この言葉の語源は「Thank you」ですが、「ありがとう」というより、「しかたない」、「返す言葉がない」、「かなり嫌気が指している」、「言葉が出ない」、「なんも言えない」等の意。
 いやなことに出くわした時、どうしようもない気持ちの表現を表わすときに使われ、使い方としては「我真的栓Q」のように、しばしば「真的」をつけて、ひねくれている様子を以って使われます。
 「栓Q」の語源は、もともと広西チワン族自治区陽朔県の農民劉濤さんが発した言葉が始まりとされ、その後全国に広まりました。
 ある日、劉濤さんは中国語と英語で桂林の景勝地陽朔の美しい景色を紹介したとき、まず中国語で「桂林山水甲天下,阳朔堪称甲桂林」と言った後に、お国訛りのある英語で「Welcome to Guilin, Welcome to Yangshuo, Thank You(栓Q)」と続けたところ、最後の「Thank You」の発音が「栓Q(Shuān Q = シュァン キュー)」と言っているように聞こえてしまい、この口調がやや滑稽だったこともあり、その動画が広まり瞬く間にこの語がネット上で話題になり、流行語になりました。
 そして、この語の本来の「感謝」を表す意味は薄れてしまい、「返す言葉がない」などと解されるようになったのには、やるせない場面に出くわした時に発した「栓Q」の語気や表情が関係しているのだとか。
 また、同じような意味合いで使われる言葉で「我真的会谢」と言うものがありますが、これは「我真的会谢谢了」の省略形から生まれた言葉。本来の字面から解釈すると「私は本当に感謝するしかない」という意味であるものの、実際には使われるシチュエーションにより、その意味合いが変化し、「もう言葉がない」や「やるせない」と言った意味で使われるようになってしまいました。
 こちらのセンテンスは、もとはウェイボ(微博)のとある人気ブロガーが口癖のように使っていたことにより広まったネット用語だそうです。
 この先、「栓Q」も「我真的会谢」も辞書に載るような言葉として定着するかどうかは分かりませんが、言葉は生きもの。その時々において使う人やその場面によって本来の意味とは全く違う意味を表現することばに変化してしまうのは実に面白いものですね。

訃告

 黎啓榕氏(李桂子女士ご夫君、横浜中華学校40届生黎莉、42届生黎媖、47届生黎華ご尊父)1月21日逝去されました。享年74歳。告別式は28日執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 陸鈴子女士(横浜中華学校14届生陸佐光令夫人、34届生陸定全、36届生陸定強、38届生陸麗珠、42届生陸麗興)享年75歳。1月20日逝去されました。告別式は30日執り行われました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

黎啓榕君の逝去を悼む
  横浜華僑通訊編集長 楊義誠

 年明け早々の1月21日、横浜華僑総会現理事の同僚黎啓榕君の逝去の報がまいこんだ。
 私と啓榕君、弟の啓鴻君(故人)とはご近所住まいで、歳も近く、幼少期からの友人であり老年期に入り、また一人友が旅立ったことに一陣の寂しさが心を吹き抜けた。
 黎兄弟の生家は山下町の山下電気商会裏の路地の奥の土蔵を改造したもので土蔵特有の分厚い扉と土壁が子供心に強く残っている。路地の入り口には駄菓子屋があり、現関帝廟の門前で開業していた貸自転車店で借りた補助輪付きの自転車で中華学院校庭を走り回っていたガキたちにとって、黎君の生家はかっこうのたまり場であり、三日とおかずに上がりこんだ記憶が鮮明によみがえる。
 啓榕君は中国通信社に勤務し、1960年代後半の全共闘運動盛りし時代には火炎瓶と石つぶての飛び交うデモ隊と警官隊との衝突現場で何度も危険を犯してカメラ取材を敢行した。
 1972年の中日国交回復以降は中国に赴いての取材も多く、国際電話会社KDDを通しても日本との通信がままならない時代、ホテルルームの電話回線にFAX機を接続する裏技で記事や画像を日本の本社に送信していたとうかがったことがある。臨機応変の知恵者の為せる技である。
 本紙「横浜華僑通訊」の写真も啓榕君の撮影によるものが多用された。中でも多くの読者に愛された連載コラム「カメラアイ」、「続 カメラアイ」の執筆は彼によるもので、編集長として感謝にたえない。
 啓榕君は本年2月10日に3年ぶりに開催される本会主催の新春聯歓会で久々に友に会い、古希の祝福を受けること。また、5月に熊本で開催予定の旅日福建同郷懇親会に李桂子夫人と参加することを楽しみにしていた。願いがかなわず悔やまれる。